瑠璃光院 白蓮華堂
2016年02月08日
和讃のひかり 一切の功徳にすぐれたる 南無阿弥陀仏をとなうれば 三世の重障みなながら かならず転じて軽微(きょうみ)なり (浄土和讃・現世利益和讃)
(1)意訳 一切の功徳にすぐれている南無阿弥陀仏を信じ、 その名号を称える人は、三世に積み重なった多くの 罪が減じて、軽くなるということ。 (2)文意 念仏が滅罪の益(やく)のあることを讃ずるもので、 重障を転じて軽くすることを讃じたものです。 すなわち、名号は万徳を具え、一切の功徳に勝れているから、 名号を称えれば前世現世来世の三世の重い罪は、 そのまま必ず転化して、軽微となる(重障から軽障へ)。 (3)語句の解説 ①一切の功徳にすぐれたる 南無阿弥陀仏の名号には、万善万行の功徳が 濃縮され籠っているので、他の一切の功徳よりすぐれていること。 (選択集に「仏の名号の功徳は、余の一切の功徳に勝る」とあります) ②三世の重障 三世で積み重ねた罪業で、悟りをひらく障りとなるもの。 三世とは前世・現世・来世のみならず、 過去・現在・未来、昨日・今日・明日、更に、さっき・今・これから、 とも言えるのではないでしょうか。 ③かならず転じて軽微なり 転は転変の意。軽微は軽くなること。 念仏の行者は信ずる一念で三世の業障が消滅して、 正定聚不退の位に至るから、このように表現したものです。 |
2016年02月03日
2月に入りましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今月は如月(きさらぎ)といいまして、衣(き)更(さら)着。 衣類をさらに着る月。気候はさらに寒くなってまいります。
冬も本番ではございますが、暦の上で2月4日で立春となりました。 昔から季節の変わり目には邪気が入りやすいと言われており、 新しい春を迎える前に邪気を払い、 福を呼び込むための厄払い行事が行われてきました。 そのひとつとして残ったものが節分の豆まきです。
節分とは季節を分けるといい、つまり季節の分かれ目です。
実際の春は、まだでありますが、 この時期は春という言葉自体を味わいながら、 春を待つことの楽しみによって豊かに過ごしたいものでございます。
冬が来れば春は来ますし、わるい時が過ぎれば、よい時は必ず参ります。 暖かい光が注ぐのを信じきった桜のように静かに春を待ちたいものですね。 咲き始めました梅の花を見るのも楽しみでございます。
皆様、風邪などひかれませんようくれぐれも暖かくしてお過ごしくださいませ。 ご来寺を心よりお待ちして申し上げております。 |
2016年02月01日
和讃のひかり 罪障功徳の体となる こおりとみずのごとくにて こおりおおきにみずおおし さわりおおきに徳おおし 高僧和讃
意味 悟りを開く妨げとなる罪悪も、その本体は仏陀の功徳と別物ではない。 それは丁度固い氷も、その本体は水であるようなものである。 その証拠に氷に熱を加えれば水になるように、 真実の智慧が開ければ罪障は功徳に転換する。 氷が多ければ多いほど、それが解けた水が多いように、 障りが多ければ多いほど、それを転換して得る功徳は多い。
尽十方無碍光如来(阿弥陀如来) 高僧和讃の曇鸞讃に出ているこの和讃は、 尽十方無碍光如来の無碍光の徳をたたえられた一連の和讃の中の一首である。 無碍とは、凡夫の悪行煩悩に妨げられることなく、 自在にすくいたもう如来の絶対的な救済力をあらわす言葉である。
それゆえ、無碍光如来の御名を聞くならば、なにがあろうと、 与えられた「いのち」のままに素直に生きることのできる精神の地平がひらかれていくのである。
如来の智慧は、無量の煩悩を無量の功徳に転換していく働きをもつのであり、 本願の名号となって私に与えられて信心の智慧となり、氷を解かす太陽のように、 私の罪障を転じて功徳にかえていくのである
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