瑠璃光院 白蓮華堂
日曜仏教礼拝(1月31日・鈴木先生)
2016-02-01
和讃のひかり
罪障功徳の体となる
こおりとみずのごとくにて
こおりおおきにみずおおし
さわりおおきに徳おおし
高僧和讃
意味
悟りを開く妨げとなる罪悪も、その本体は仏陀の功徳と別物ではない。
それは丁度固い氷も、その本体は水であるようなものである。
その証拠に氷に熱を加えれば水になるように、
真実の智慧が開ければ罪障は功徳に転換する。
氷が多ければ多いほど、それが解けた水が多いように、
障りが多ければ多いほど、それを転換して得る功徳は多い。
尽十方無碍光如来(阿弥陀如来)
高僧和讃の曇鸞讃に出ているこの和讃は、
尽十方無碍光如来の無碍光の徳をたたえられた一連の和讃の中の一首である。
無碍とは、凡夫の悪行煩悩に妨げられることなく、
自在にすくいたもう如来の絶対的な救済力をあらわす言葉である。
それゆえ、無碍光如来の御名を聞くならば、なにがあろうと、
与えられた「いのち」のままに素直に生きることのできる精神の地平がひらかれていくのである。
如来の智慧は、無量の煩悩を無量の功徳に転換していく働きをもつのであり、
本願の名号となって私に与えられて信心の智慧となり、氷を解かす太陽のように、
私の罪障を転じて功徳にかえていくのである