瑠璃光院 白蓮華堂

日曜仏教礼拝(8月16日・永楽先生)

2015-08-17

和讃のひかり


娑婆永劫(ようごう)の苦を捨てて

浄土無為を期すること

本師釈迦のちからなり

長時に慈恩を報ずべし

高僧和讃 善導讃


※和讃の意味

この世(娑婆世界)で永遠に続く苦しみをはなれ、

浄土の涅槃のさとりが期待できるしあわせの身となったのは、

まったく釈迦如来のおかげである。

だから私たちは、常にお釈迦様の教えに随い、

浄土に救ってくださる阿弥陀如来一仏を専念して、

釈迦・弥陀二尊の慈悲と恩徳に報謝しましょう。

釈迦と弥陀、このお二方はどう違うのか、二つの考え方がある。

一つは鈴木先生の法話で紹介された

「釈迦弥陀は慈悲の父母 種々に善巧方便し われらが無上の信心を 発起せしめたまひけり」

のように、釈迦は私たちを慈父のようにいつくしみ、

弥陀はは慈母のようにはぐくんで導いてくださる。

二つ目は、お釈迦様はみんなを浄土にすくう

阿弥陀様のことを教えて下さったという考え方。

お釈迦様に教えてもらわなければ阿弥陀様に遭うこともこともなく、

往生もできなかったので、同等にありがたい、ということ。

この和讃は、死は悲しいことだけれども、

死ぬことでこの世の永遠の苦とさっぱりオサラバして

安楽の世界に往生するということでもあるので、

私ども無量寿山光明寺では、火屋勤行・窯前勤行といって、

火葬場でこの和讃を称える。

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